朝夕涼しくなり夏の過ぎ行きた感じがする今日この頃。
如何お過ごしでしょうか?
さて、少し夏について考えてみようと一頻り妄想に励んでみたところ、自己蝉化妄想に辿り着きました。
蝉、五月蝿いですよね。
もう力の限り「オレここにいる!」と自己主張甚だしいですが、皆さんも「五月蝿いなぁ」と思った事は一度や二度では無いと思われます。
「蝉地雷」これも迷惑です。
(死んでると思いきや近づくと旋回しながら暴れ出すアレです)
まぁどちらにしてもあまり良いイメージは持ってないのではないでしょうか?
しかし、自分が「蝉の一生と同じ比率で生きる」と仮定すると少しは奴らを許せそうな気がして来るんですよ。
奴らは7年位地下で生活し、その後7〜14日だけ地上でハッチャケるのはご存知の通りです。
人間の感覚で蝉のライフスタイルを判断するのは無理がありますが、
蝉の一生を人間の一生に置き換えるとどうなるか?
仮に蝉の一生を7年と7日とし、人間の一生を80年とすると人間が地上に這い出して活動出来る時間というのは約80日程度。2ヶ月と20日くらい。
地下に埋まっている時間が大体79年と285日。
蝉が14日地上で暮らすとしても、まぁ5ヶ月間くらいしかハッチャケる事ができません。
とんでもなく長い時間、孤独に暗い場所で生活を送らなければならない上に、解き放たれたら時間少な過ぎ。
そりゃー、人目もはばからずハッチャケるってもんです。
その短い時間で嫁探したり、自己主張したりなど結構やる事は多く明らかに時間が足りません。
嫁探しに関しては、もう異性と出会ったら
「あー、オレ君みたいな子好みじゃないから」
とか言ってる場合じゃない訳ですよ。
好みだろうが、好みじゃ無かろうが土下座して
「おねがいします、おねがいします」
と格好悪くても何でも生殖活動をしない訳にはいかないような気がします。
あぁ、でも地上に出るまでは他人という存在を認識した事が無い訳だから、「好み」とかそんなのも存在しないかもしれません。
初めて出会った異性に衝撃を受けそのまま結婚するんだろうな。
選択の余地なんて無いかもね。
成り行きで時間は進み、暫くは何も疑問に思う事なんて無いでしょう。
短い地上生活の中でも何人か異性を見る事は出来そうなので、暫くしたら少し「好み」みたいな感覚も生まれるかもしれない。
オレ暫くしたら死ぬかなぁという時になれば
「オレ結構悔いないように生きたじゃん。オレあっぱれ」
「我が生涯に一片の悔い無し」
とか、思ったりすると思うのですよ。
しかし、死ぬ直前になり神の悪戯か目の前を自分のワイフより綺麗な子が通り過ぎる。
そして、ふとこう思う訳です。
「あの子にしとけば良かった」
とね。